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名古屋高等裁判所 昭和53年(ネ)28号 判決 1978年10月31日

控訴人

洪斗儀

右訴訟代理人

中沢信雄

被控訴人

佐野英夫

右訴訟代理人

湯木邦男

外一名

主文

本件控訴を却下する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一(本訴の経過)

<証拠>並びに本件記録によると、原審における本訴の提起から判決言渡までの経過並びに控訴人が控訴申立をするに至る事情として次のとおりの事実を認定することができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

1  昭和五二年四月二一日被控訴人は弁護士湯木邦男を訴訟代理人として控訴人を相手どり損害金請求事件の本件訴状を原審裁判所に提出し、同裁判所は同日これを受付けた。(同裁判所昭和五二年(ワ)第九一九号事件)

2  右訴状には被告(控訴人)の肩書住所地として(甲)「名古屋市中区流町二七番地の一」と記載されていたが、右記載は後記別件訴訟(名古屋地方裁判所昭和四八年(ワ)等一三一八号)の訴状における被告有限会社古賀鋳工所の送達場所として記載された右会社の代表者清算人古賀俊一(控訴人)の肩書住所のそれと同一(尤も別件訴状では流町二七番地とある)である。

3  昭和五二年四月二六日(甲)地宛郵便による送達は控訴人から所轄郵便局へ(乙)地宛転送依頼をしていたので一旦(乙)地へ転送されたが、「転居先不明」との理由で差出人である同裁判所に返戻され、訴状送達はできなかつた。

4  同年五月一七日被控訴代理人から同裁判所に(丙)「名古屋市中川区外新町一丁目一〇番地有限会社古賀鋳工所内古賀俊一」が控訴人の住所地である旨上申があつた。

5  同月一九日右(丙)地宛郵便による訴状送達が試みられたが「受取人不在」との理由で、同月三〇日まで中川郵便局に留め置かれたが受取人が出頭しないため同日保管期間経過により差出人還付となり同裁判所に返戻された。

6  同年六月七日被控訴代理人より右(丙)地宛執行官送達の申立がなされ、同月一四日執行官による送達が試みられたが「受送達者居住せず、右送達場所石原春夫、車俊烈の表札はあるが、古賀の表札はなく、自称石原和俊は約六年前から右石原春夫こと車俊烈が古賀俊一から借りて居住中で古賀の行方は知らない旨陳述した」との執行官による送達報告がなされて送達は不能となつた。

7  しかして右(丙)地は登記簿上有限会社古賀鋳工所の本居所在地で本件訴訟の係争土地、建物の所在地であり、同時に前記別件訴訟の係争土地でもあつた。

8  同年六月二四日被控訴代理人からさらに同裁判所に控訴人の住所が(乙)「名古屋市中川区十一番町二丁目二二番地古賀商店内古賀俊一」であることが判明した旨の上申書が提出された。

9  同月二七日右(乙)地宛郵便による送達が試みられたが「転居先不明」との理由で同裁判所に返戻され、送達は不能に終つた。

10  同年七月五日被控訴代理人から控訴人の住所、その他送達すべき場所が判らないとして同裁判所に公示送達許可の由立がなされた。

11  同月一一日同裁判所より愛知県中警察署、同年八月八日同中川警察署にそれぞれ控訴人の所在調査嘱託がなされ、中署からは七月一八日付、中川署からは同年九月四日付回答書が寄せられた。

12  右中署回答の内容は控訴人は以前(甲)地に居住していたが、昭和五一年一〇月一八日(乙)地に転居したことが中区役所における調査により判明したというのであり、右中川署回答の内容は、控訴人は(乙)地に現に居住しているが、住所に毎日はいない、昭和五二年七月頃まで中京病院に入院しており、その後自宅に毎日いたが最近ではあまり姿を見かけないといというものであつた。

13  そこで同年九月一二日さらに(乙)地宛郵便による訴状送達が試みられたが同月一六日前同様「転居先不明」の理由で同裁判所に返戻され送達不能に終つた。

14  同月一六日同裁判所は本件につき控訴人に対し送達する書類はすべて公示送達によりなすことを許可し以降これに基づいて訴訟手続が進行した。

15  被控訴人と控訴人を代表者とする有限会社古賀鋳工所とは共に被告らの一人とされて佐藤俊彦より別件で建物収去土地明渡の訴を提起され名古屋地方裁判所昭和四八年(ワ)第一三一八号事件として係属中であるところ、佐藤の請求原因は、被控訴人に賃貸した係争土地の賃料不払と同地上に被控訴人が建築所有し鉄工所を経営する建物を同被控訴人が合資会社佐野鉄工所に譲渡し、さらにこれを有限会社古賀鋳工所に無断転貸していることを理由として係争土地の賃貸借契約を解除したから被控訴人らは地上建物を収去等して係争地を明渡せというのがその要旨であつた。

16  ところで右訴訟で被控訴人と有限会社古賀鋳工所は共に被告とされているけれども被控訴人は昭和四〇年九月頃右合資会社佐野鉄工所が倒産した際その債権者の一人である右古賀鋳工所の代表者である控訴人から債権取立にからんで不法に右佐野鉄工所所有の建物を占拠されて以来長期間に亘り相当の損害を蒙つたものでその損害賠償を請求する権利のあることを主張しており、両者の利害は著しく対立していた。

17  そこで右訴訟で和解が勧められる中でも佐藤と被控訴人の関係は佐藤と有限会社古賀鋳工所との関係とは別個に扱われ、被控訴人は控訴人に対し別途前記の趣旨での損害賠償を請求することを匂わせていた。しかして右別件訴訟における訴訟代理人は、控訴人、被控訴人とも本件訴訟のそれと同じく、前者は弁護士中沢信雄であり、後者は同湯木邦男(別に同打田千恵子が加わつた)であつて、両代理人とも本件訴訟の背景をなす右別件訴訟の経過は職務上了知していた。

18  かくして昭和五二年四月被控訴人から控訴人宛本訴が提起されたが、前記のような経過から控訴人に対する訴状等訴訟書類はいずれも送達不能となり、被控訴代理人の数回の調査、上申にかかわらず控訴人宛の送達がなされないまま経過するうち、名古屋弁護士会館において被控訴代理人が控訴代理人に会つた際被控訴代理人から控訴人に対し訴訟を提起したが控訴人の住所が明確でなく、書類が送達不能となつていることを伝え、控訴人の住所がわかつていれば教えて欲しい旨依頼した。(この点については当事者間に争いがない)

19  控訴代理人は早速控訴人と電話連絡をとり、被控訴代理人の申出のあつた事項を控訴人に伝えたが、その際控訴人は控被人の住所を被控訴代理人に教えてもよいかと聞かれて、よい旨返答した。

20  しかして右のような電話による連絡のあつた時期について控訴人、同代理人はそれを昭和五二年秋頃のこととそれぞれの上申書で自認しており、両名ともこの頃には被控訴人から控訴人宛訴訟が提起されていることを確知したと思われる。

21  控訴代理人は同年一二月末頃被控訴代理人宛葉書で先に依頼され、控訴人から了承をえた控訴人の住所地(乙)を通知したが、その時にはすでに本件訴訟の原審口頭弁論は終結されていたし、右(乙)地はすでに前記(9、13)のとおり二回にわたり郵便による送達が試みられていずれも送達不能に終つた場所であつて、さらに送達を試みる実益はなかつたと思われたことから被控訴代理人はこれを放置していた。

22  かくして同年一二月二七日公示送達により本件原判決は控訴人に送達されたが、昭和五三年一月一九日に至り、名古屋弁護士会館において両代理人が出会つた際本件訴訟の帰趨が話題になり、被控訴代理人から既に判決は言渡された筈だと聞いた控訴代理人は控訴人と電話で連絡したのち、その依頼によつて調査した結果前記のとおり本件原判決は言渡され公示送達によつて控訴人に送達されたこと、既に控訴期間を徒過していることが判明した。

二(判断)

以上認定した事実によつて考えると、控訴人に対する本件訴状等の送達すべき書類が公示送達の方法によつてなされたのは控訴人の住所、居所、その他送達すべき場所が知れない場合としてやむをえないものというべく、控訴人のこの点の違法をいう主張は理由がない。

また控訴人は前認定のとおり遅くとも昭和五二年秋頃には被控訴人から新たに訴の提起されたこと(その内容は別としても)を確知していたものであり、そうだとすれば不日判決のあることは充分予想され、しかもその内容は前認定の事情からすれば控訴人にとつて不利なものとなることは優に予測されるのであるから、応訴の準備はもとよりこれを放置して何らの調査すらしなかつたのは重大な怠慢というべく、本件判決の送達が公示送達によつてなされたからといつて、本件控訴期間を遵守しえなかつたことが控訴人の責に帰すべからざる事由によるものであるとは到底なしがたいものといわなければならない。

そうすると本件控訴の追完は認められず本件控訴は控訴期間経過後になされた不適法なものというほかないから、これを却下することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(丸山武夫 上本公康 福田晧一)

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